2013年3月13日

頭の堅い人間が陥る理解力の低下例

レッドブルとアップル「直訳CM」の致命的欠陥(「授ける」と「させる」の言語機能の解析)
http://www.kotono8.com/2012/03/08redbull-apple.html



レッドブル、翼を授けるというキャッチコピーが直訳的で、させるを授けると訳して気持ち悪いとの事ですが・・・。
レッドブルが購入者より上から目線で嫌との事なんですが、ここが違いますよね。
ツイッターの反響でも分かる通り、多くの人はこのコピーを受け入れている。
これは、レッドブルという飲み物が力を与えてくれる、授けてくれる、何か他とは違う飲み物なんだという印象を与えるために、わざと授けるという単語を用いてレッドブルを神格化している訳です。
しかし、それで別に上から目線の嫌な感じにはなりませんよ。普通は。
なぜなら、視聴者は上記のために発信者が意図的にレッドブルを神格化しているという事を分かってみているからです。
ただの飲料水のCMなんですから。

また、レッドブルは翼を与えます、と「させる」の方で訳した所で、授けると大差ありません。
giveを使っている限り、受ける印象は同じなんですよ。
むしろ、授けるの意図を視聴者に与えたいから、原文でもgiveを使っているんでしょう。

アップルの解釈もおかしいですねぇ・・・。
原文がITだから「それ」を使っているんじゃないんですよ。
iPad自体に魅力を感じる人もいれば、iPadが提供する性能に魅力を感じる人もいる。
所持する事に魅力を感じる人もいれば、iPadを使って出来る物に魅力を感じる人もいる。
だから、「それ」を使わずに、単純に「iPadはあなたに生涯に渡る情熱を与えてくれます」、と言ってしまうと、「iPadの性能はあなたに生涯に渡る情熱を与えてくれます」、と期待している人には訴求力が低くなってしまう。
つまり、その製品に求めている魅力の形は人それぞれ違う訳で、なるべくたくさんの人に訴求力を持たせるために、わざと「それ」が何なのか具体化せず、見る人に最適解の想像を委ねている訳です。

これは日本語のコピーでよく使われる表現です。
車のCMとかね。
作り手としては、購入者が走りを求めるのか、乗り心地を求めているのか、質感を求めているのか、資産価値を求めているのか分かりませんから。

さて・・・。
上二つの例は色々と考えさせられて面白いですね。
レッドブルの件も、アップルの件も、受手に対して広く訴求力を与えるには想像して作ってある、という点が要です。
上の記事の著者は、英語の直訳という自分視点でしか二つのCMを理解できませんでした。
そこで考えが停止して複数の切り口から物事を考えられなくなっていたという事です。
これは、特に一つの事を長く続けている人ほど同じ傾向がありますね。
続ける事は最良の行動の一つですが、その知識が違う分野・視点に通用するかどうかはまた別の話です。

商売をやっていく上では、柔軟な思考が不可欠です。
レッドブルもアップルも、大変売れていますからね。

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